こんにちは!くるるです。
今回は、地元にある国指定重要文化財「森家」を紹介します。
幕末から明治初期の建物で、当時の海商の様子に興味ある人におススメだよ!

地元富山の市電ポートラムに乗り小旅行。パンフレットに載っていた「森家」に目が留まり、ふらりと立ち寄りました。ちょっとだけ立ち寄るつもりが、随所に「こだわり」や「遊び心」が隠されていて、気づけば4,50分見学しちゃいました。幕末から明治初期の北前船で栄えた海商の様子を知ることができます。
富山市にお越しになり、ポートラム(富山港線:旧ライトレール)に乗られる機会があれば、是非「森家」に訪れてみてください。
基本情報

皆さん、「北前船」ってご存知でしょうか?幕末から明治にかけて日本海を経由して、北海道と大阪の間を交易するのに使用された船のことです。この交易で財をなした「森家」の建物が、寄港地となっていた富山の岩瀬にあります。
この建物を見ると、幕末から明治初期の海商の生活を感じ取ることができます。国指定重要文化財となり(平成6年)、日本遺産に認定(平成30年)されたのも、納得です。
有料(大人100円)ですが、是非訪れてほしいです。
館長がリズミカルな口調で館内を案内してくれて(約15分)、楽しく「森家」を知ることができます。
住所 | 富山県富山市東岩瀬町108 |
電話番号 | 076-437-8960 |
開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
休業日 | 年末年始(12/28~1/4)、その他臨時休館あり |
観覧料 | 大人100円、高校生以下は無料 |
アクセス | JR富山駅から富山港線(ポートラム)で約25分、「東岩瀬」下車、徒歩約10分 |
駐車場 | 13台(無料) |
森家は、代々「四十物屋(あいものや)仙右衛門」と名乗って、明治に入ってから名字を「森」としたそうです。
富山では「四十」と書いて「あい」と読むのをよく見かけるよ。
館員によると、「四十物」って、(魚介類の)「生もの」と「干物」の中間を指すんだって。
勉強になった?
次は、館長が教えてくれた見どころを紹介します。
見どころ紹介
北前船

特徴のある形
中に入って、すぐに目に入るのは、上の写真にある北前船の模型です。実際の大きさは、長さ25m、幅9m。
今の船と比べるとずいぶんずんぐりむっくりした形ですよね。これには理由があります。当時の船に掛かる税金は、船の長さによって決まっていたそうです。だから、税金を抑えつつ沢山のものを運ぶために横に広がった形になったということです。今も昔も考えることは変わりませんね(#^^#)
呼び名
「北前船」、ここ岩瀬では「バイ船」と呼んでいたそうです。
各地の物産を買ったり売ったりして、「倍々」儲かったことから「バイ船」。やっぱり交易は儲かるんですね。
交易の様子
館長が説明された交易の様子を表にまとめました。
交易期間 | 4月~10月 |
乗組員数 | 13人 |
所要時間 | 北海道:50日 大阪:100日 |
主な物産 | 富山:米 北海道:昆布、鰊 |
利益 | 1,000両(0.6~1億円) 【内訳】 北海道:100両 大阪:900両 |
オイ

北前船の模型以外で「オイ」で目を引くのは、囲炉裏です。この囲炉裏を囲んで商取引が行われていたようです。
また畳の敷き方にもちょっとしたおしゃれが。写真1には横に繋がっている畳が見えると思います。これは、小川を表しているそうです。「室内に川が流れている」という発想は面白いですね。

さらにもう1つ。次はゲン担ぎです。写真2に、厚さ半分の畳があるのが分かりますか?
「上座に半畳」→「商売繁盛」

茶室

6畳の茶室には隠し金庫が・・・約140年前の金庫で700℃の高温にも耐えられるそうです。日本の家屋は木造だから、火事の対策は重要です。
なお、写真の左側の肖像画は、初代森正太郎さんです。
前庭・中庭
次はお庭です。前庭と中庭があるのはお金持ちの証拠だそうです。

写真3はヒカエノマから前庭を撮ったものです。

この日はいい風が室内に入ってきて、心地よい風鈴の音を聞きながら、お部屋を見学できました。

写真5の廊下は、板の並べ方に工夫があります。
漢字の「入」に見えませんか?
これは、「お客が入る。仕事が入る。お金が入る」というゲン担ぎです。

写真6は、中庭です。中に建っている建物は土蔵で、上下の扉の間には松と鷹が描かれています。そして腰壁には「松皮菱」の模様。
これらの庭を見ていると、明治初期にタイムスリップした感じがします。
座敷

写真7はブツマからヒカエノマを撮ったものです。船絵馬や鳥観図などが飾られています。

座敷の鴨居にはちょっとした遊びがあります。写真8は鴨居に「鶴」が飾られています。このほかにも「亀」「うさぎ」がありました。
土蔵

土蔵の扉には龍虎が描かれています。これは左官職人が作ったものです。左官でこんな作品を作るなんてすごいですよね。

でも、もっと驚いたのは、当時の人は実際に虎を見たことがなくて、想像で作ったという点です。

こちらの写真は、土蔵の中です。昔の時計がいっぱいありました。昔は時計が珍しいものだったのでしょうか。
ここで隠れんぼしたい!
2階 番頭部屋

2階は、番頭部屋(男性)と女中部屋(女性)がありますが、見学できるのは、番頭部屋です。階段はすごく急です。昔の家は急な階段がスタンダード。私の祖父の家もこんな感じだったのを覚えています。

2階からの眺めもよかったです。この落ち着いた空間で読書は最高ですね(*^^)v
ちょっとだけ歴史
「森家」の邸宅が綺麗な形で残り、今日私たちが見学できるのは、森家の方々が建物を大切にされてきたことは言うまでもありませんが、倉敷レーヨン(現 クラレ)の社長大原総一郎さんの功績も大きいと思います。
倉敷レーヨンが岩瀬で操業した際、「森家」の邸宅は寮として使用されたそうです。そして倉敷レーヨンが岩瀬から撤退することになって、昭和56年(1981年)にはこの邸宅を富山市に寄付されました。
先人に感謝!私たちも見習って、未来につなげたいですね!
なお、倉敷レーヨンの工場は富山化学(現 富士フィルム富山化学㈱)に引き継がれています。
さいごに
全く予備知識なく訪れた「森家」ですが、とても興味深く見学できました。これも館長が楽しく案内してくれたおかげです。
ここで紹介したことは、館長が話した一部です。次から次へと話されるので、全部は理解できませんでした。逆に言えば、全部頭の中に入っている館長はすごいですね。
今回ご紹介したこと以外にもたくさん魅力のある「森家」、当時の様子や思いが感じられる場所です。一度訪れてみてはいかがでしょう?
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それでは楽しい旅行を!
またね。